スポーツと洗脳

 日大アメフト部の悪質タックル問題の発生から一年半が経ち、反則行為をした選手の不起訴処分が決定し、ひとまずの終息を迎えました。それまでの経過をテレビで放送していましたので私が感じた事を書いてみたいと思います。

 まず、日大アメフト部の問題は監督が選手たちをロボットのようにコントロールしていたことから始まります。アメリカンフットボールは数秒間ごとの戦術が重要でスポーツの特性として指示を出す人間の影響が強く出やすいスポーツとも言えます。監督の言う事は絶対で逆らうことは出来ないような状態だったと思います。

 日大では問題後、監督が変わり「自主性」を重要視する方針に方向転換しました。しかし今まで指示通りにさえやっていればよかったのが、新しい方針に戸惑いを見せ不満を出す選手も出てくる始末。急に「自主性」と言われても自分で考えて行動する癖がついていないので、どうすればいいのかわからないのは当然のことだと思います。

 チームは事件後2部リーグに降格しましたが、時間をかけ徐々に自ら考え行動することに慣れてきた選手たちはリーグ全勝の結果で1部リーグに昇格することができたのです。

 これは子ども達のスポーツにも言えることだと思います。子ども達にはまだ自分で考えて行動する能力は未熟で、試合ともなるとなかなか結果は出にくいと思います。逆に監督が運動できる子だけを試合に出し、駒のように動かせばある程度試合に勝つことができるでしょう。しかし目先の試合に勝つことだけが大切なのでしょうか。

 スポーツをやる本当の意義は「成長を促すツール」であるということです。身体的な成長はもとより、精神的な成長もそれと同等以上に重要です。

 特に暴言や体罰で子どもを動かそうとする指導者がいるのであれば、それはもはや暴力による「洗脳」なのです。洗脳をするにはまず対象者の思考を停止させることから始めます。駒のように動かすということは、思考を停止させることと同義です。

 良かれと思って習わせている少年スポーツが、逆に子ども達の成長を阻害している可能性もあるのです。

 子ども達がこれからの激動の時代を生き抜くうえで、言われたことしかできない「指示待ち人間」になってしまうことは得策だとは言えません。自ら考えて、試行錯誤し、どのように生きていくかがとても重要なのです。

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